[FOCUS 長崎ヴェルカ]バスケットボール選手として長崎でできることがある #4狩俣昌也 インタビュー VOL.1
2021年6月1日、長崎ヴェルカは狩俣昌也選手と契約合意したと発表した。
狩俣選手は、2012-13シーズンに千葉ジェッツでキャリアをスタートさせ、その後は地元・沖縄県の琉球ゴールデンキングス・福島ファイヤーボンズ・シーホース三河・滋賀レイクスターズと渡り歩いてきたベテラン選手で日本を代表するPGの一人である。現在33歳。
そんな彼が次なる挑戦の舞台に選んだのが、今シーズンからB3に参入する長崎ヴェルカだった。なぜ長崎でプレーすることを選択したのか話を聞いた。
長崎ヴェルカへの加入を決断した理由は「たくさんある」という狩俣選手。もちろん、彼の下に届いたオファーは長崎だけだったわけではない。いくつもあったオファーの中で「自分自身が一番ワクワクした。楽しそうだな」と感じた。新しく誕生するチームで、B3からの挑戦は「大変だろうが、それも含めて楽しみ」と思えたことが大きかった。
長崎ヴェルカはジャパネットホールディングスが地域創生を掲げる中で誕生したバスケットボールチームである。以前、伊藤拓摩GM兼HCは「強いバスケットボールチームを作るだけではなかった。地域を盛り上げることやバスケットボールが地域そのものになるポテンシャルを感じた」と語り、「日本を良くしたい」というビジョンに惹かれ長崎での挑戦を決めたことを明かしてくれた。(※伊藤拓摩GM兼HCのインタビュー)
これは狩俣選手も同様「チームがやっていこうとしていることにすごく共感ができたことが大きかった」と語る。
新型コロナウイルス感染症流行以降、前々シーズンは中断を余儀なくされるなど難しい環境下でのプレーが続いている。
「選手としてコロナ禍で何のためにバスケットボールをやっているのか、本当にプロバスケットボールが必要なのか、すごく考えさせられた」
その中で「チームが地域の人、長崎の様々な人々を巻き込んで取り組んでいる」ことを知り、プレーする意義を見出していった。
アメリカのNBAでは「チームが無くなれば街では失業する人が増える。それだけ関わっている人が多い。長崎でもそのような文化・環境ができるのではないか。そういう存在になれるのでは」と考えた。そういう存在になれるのであれば「バスケットボール選手として長崎でできることがある」と移籍を決めた。
昨シーズン、コロナ禍で消化できない試合もあったが何とかシーズンを走り切ることができた。狩俣選手は所属していた滋賀レイクスターズでキャプテンとしてチームを牽引した。
「待ってくれているファンがいること、すごく待ち望んでいることをSNS上などでもたくさん目にする機会があった。より責任を感じたしモチベーションにもなった」
ファンがいることのありがたさは普段からわかっている。しかしコロナ禍でBリーグに元気や勇気をもらったファンも多い。ファンのより強い思いとメッセージを感じられたことは狩俣選手にも影響を与えたはずだ。
ベテランになると残りの現役生活を考えながら移籍を決断する選手も少なくない。B1やスタメンにこだわるだけではなくなる選手もいる。狩俣選手にとってはバスケットボール選手であることの価値や存在意義が重要だったのだろう。「今年33歳、大きな挑戦ができることがありがたい」と、自身がワクワクした理由としても説明してくれた。
B1チームでプレーを続けてきた分、新たな舞台をB3に移すことに悩みが無かったわけではない。むしろ、最後まで悩み続けたのがそこだった。
プロバスケットボール選手になりたいと思った時から一番上を目指して戦ってきた。「レベルで言えば、たとえB3で優勝しても『日本一』ではない。今まで目指してきたものとは変わる」ことが迷いとなった。
それでも、このような難しい時勢にチームを作り、上を目指していく姿勢、力の入れ方や本気度を感じた狩俣選手は、今「長崎ヴェルカの目標を一緒に達成することはとても価値がある」と心は決まっていった。
「B1のチームで優勝を目指すよりも、長崎での挑戦は難しさがある」と感じている。より難しい方を選ぶことが自分にふさわしいと長崎を選んだ。
今回は伊藤GM兼HC直々にオファーを受けた。「プロフェッショナルだと思った。チームへの思い、バスケ以外の部分も人としても信頼できると感じた」と印象を語った。伊藤GM兼HCからのオファー以降、結果的にこの移籍を後押しした人物がいる。
狩俣選手は、滋賀で伊藤GM兼HCの弟である伊藤大司氏(昨シーズンをもって引退、今シーズンからはアルバルク東京アシスタントGMに就任)と共にプレーをしていた。実は、長崎からオファーを受けて以降、ずっと相談をしていた。「家族以外で一番最初に相談し、色々な意見を聞いた。決める前も決めた後もずっと話をしてきた」のだという。長崎への移籍を決めた際にも「良いと思うよ」と背中を押してくれたそうだ。
2019-20シーズンに滋賀への移籍を決断した時、伊藤大司氏や当時在籍していた荒尾岳選手(現・仙台89ERS)の存在が大きかったという。それまではあまり面識が無かったが同じチームになって「いい兄貴として面倒を見てもらった。たくさん迷惑をかけたが、すごく優しく支えてもらった」と振り返る。前所属チームでの出逢いが少なからず今回の挑戦に繋がっているのかと思うと運命的なものを感じざるを得ない。
狩俣選手は2014年から在籍していた福島ファイヤーボンズでもチーム立ち上げの一員として関わった貴重な経験を持っている。
「昔の経験も伝えることができるし、何度も経験できることではない。バスケット以上に人生においても価値がある」
福島のみなさんに暖かく迎え入れられて応援してもらえたことが思い出深く記憶に残っている。長崎でも「一緒になって作っていってほしい。盛り上げてほしい」と願っている。
取材場所:長崎ヴェルカ クラブハウス
[FOCUS 長崎ヴェルカ]#4狩俣昌也 インタビュー VOL.2
選手プロフィール
#4
出身校:国際武道大学
出身地:沖縄県
生年月日:1988年4月28日
身長(cm):178cm
twitter:@msy_karimata
instagram:@masaya_karimata
クラブプロフィール
HP:https://www.velca.jp/
twitter:@n_velca
instagram:@n_velca
Youtube:長崎ヴェルカ公式Youtube
「ヴェルカ」には、
①Welcome
②Well community
③Victory
の3つの意味をかけています。V・ファーレン長崎のように長崎で親しまれるクラブとなり、長崎らしい良い文化を取り込みながら、それと同時に地域創生を目指してほしいという想いを込めています。