
【PR】[NEXT CHALLENGE]岩松永太郎、30歳の決断
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2025-26シーズンをもって現役を引退した岩松永太郎氏。
東海大学卒業後、岐阜スゥープス、トライフープ岡山でプレーし、2025-26シーズンに徳島ガンバロウズへ加入し、プレーオフ進出に貢献する活躍を見せた。そして2025-26シーズンをもって、7年間のプロ生活に区切りをつけ現役を引退した。
今回は、7年間のプロバスケットボール選手としての歩みを振り返りながら、引退を決断した経緯や、現役生活の中で感じていた葛藤、そしてこれから歩んでいく新たなキャリアについて、本音で語ってもらった。
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もがいた大学時代が、7年間のプロ生活につながった
「東海大学の一つ上の先輩に寺園脩斗選手(現・神戸ストークス)がいるんです。すごく仲が良く、彼も大学卒業後に九州電力に入社。その後、三遠ネオフェニックスに入団しました。彼と同じスキルコーチを紹介していただいて、彼の背中を見ていました。僕も1年間教員として勤めました。でも22歳という、エネルギーあふれる年齢だったので、もう一度バスケットボール選手を目指そうと決めました」
一年間の教員勤務を経て、プロを目指すために岩松は上京。東京の飲食店やアパレルでアルバイトをしながら、ワークアウトに参加した。現在、徳島ガンバロウズでヘッドコーチを務める小林康法氏ら東海大学のつながりもあり、岐阜スゥープスへの入団が決まった。
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ようやくたどり着いた選手としてのキャリア。
「とても充実していましたけど、楽なことばかりじゃなくてアップダウンがありました。今振り返ると、7年間プロとして生活させていただきましたが、7年間もできるなんて思っていなかったんです」
宮崎の強豪、県立小林高等学校から東海大学という望んだ道を進んだ。でもそこで初めての挫折を味わったという。
「行けることをゴールにしていたので、もがいた4年間でした。その期間があったからこそ、この7年間も毎日コツコツ積み上げてこられたんだと思います」
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そんな7年間も、順風満帆だったわけではない。
「岐阜に入団後の2年間はイケイケどんどんで。若手なのですぐ試合にも使ってもらえました。『俺はここからバスケでご飯食べて行くんや』みたいな勢いで岡山に移籍したんです。ただ当時、岡山は強くてB3の上位にいました。そこで壁にぶつかってしまって。その後、岐阜に戻ったのですが、一度立ち止まって考えましたね」
26、27歳の頃のことだった。「B1リーグを目指す」という上昇志向より、「誰とプレーするか」「誰と挑戦するか」に重きを置くようになった。
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「この人とやりたい」 小林康法HCとの絆が生んだ最高のシーズン
岩松氏のキャリアのスタートにも影響を与えていた小林康法氏が岐阜のHCに就任したのは、二度目の岐阜での挑戦、その2シーズン目のことだった。
「お兄ちゃんみたいな存在。キャリアの最後は、漠然とヤスさんとやりたいなと思っていたんです」
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絆が強い二人。岐阜で共に戦った1シーズンは、岩松にとってキャリアで最も納得のいく時間だった。
「自分の中での満足度も高く、キャリアのスタッツも含め、自分が思い描いていた一番ベストなシーズンだったんです。ヤスさんが来て、ガラッとチームのカルチャーや文化を変えてくださって、僕たちのいいところを全部引き出してくれました。チーム史上最多の勝率で、プレーオフに初めて出場できました」
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「僕は岐阜でキャリアの最後を終えたいと思っていました。
岡山から岐阜へ移籍する時、岐阜で骨を埋める覚悟で帰ってくると決めていたんです。自分のキャリアをスタートしたチームで、とても大事に思えるチームでしたから」
充実の日々を送っていても、選手としてのキャリアは思い通りにいかないものである。岩松は契約満了となった。
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2025-26シーズン、小林HC、ハンター コート、ライアン・ローガンと共に岩松は徳島へ移籍。4人揃っての移籍を思い出し、「なかなかないですよね」と笑う。しかし、徳島での挑戦は思い描いた通りだったわけではなかった。
「岐阜で成功体験を得ていました。同じヤスさんのシステムなのですが、プレーする人が違うんです。僕たちの成功体験が徳島ではハマらなくて。今年は別のチームと頭ではわかっていましたが、そのギャップに苦しみました。でもチームとしては、レギュラーシーズン2位という結果を残せました。ベテランとして、リーダーシップを発揮し、後輩たちの面倒を見ることもすごく大事だったので、自分の結果も残したいけど、チームとしてやらないといけないことがあるというところで結構葛藤もあったかなと。でもチームメイトに恵まれていたと思いますね」
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そんな岩松は、28歳の時に自身のプライベートで大きな転機があった。そこから「引退」という言葉と向き合い始めるようになった。シーズンがスタートするたびに、「今シーズンで終わってもいいと思えるくらいのシーズンにしよう」と、毎回覚悟を決めていた。徳島でのシーズンが終わり、チームのミーティングなどを経ながら、「実際に引退を本気で考えた」という。
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