balltrip 記事 栗原貴宏

栗原貴宏のラスト18.4秒

構成・文:オガワブンゴ木村英里
写真:オガワブンゴ

最後のシュート

後輩とのマッチアップ

2020年10月11日。一人の選手がコートを去った。
その選手は、2010年、当時の東芝ブレイブサンダース(現・川崎ブレイブサンダース)に加入し、日本代表としても活躍した栗原貴宏選手だ。

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B2リーグ戦第2節GAME2 山形ワイヴァンズ対福島ファイヤーボンズの一戦。
GAME1では出場なし、GAME2でもアップに参加しなかった。
勝負の行方がどちらに転んでもおかしくないという展開の中、福島の勝利が見えかけた瞬間、山形のミオドラグ・ライコビッチHCは栗原選手を呼んだ。
試合時間残り18.4秒の時だった。
久し振りの出場にも慌てることなく、淡々と。いつも通りのコートインだった。
栗原選手にとって現役生活最後のシュートは、これまで幾度となく射抜いてきた左45度からのシュート。
そして最後にマッチアップをしたのは、栗原選手に憧れてきた日本大学東北高等学校の後輩である福島の山内翼選手。ゴールこそならなかったものの、栗原、山内両選手の視線が同じ放物線を追っていた姿が目に焼き付いている。さらに山内選手が誰より涙を流していたのがとても印象的だった。

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正直ほっとした

まだこれだけ痛いのか・・・

balltrip 記事 栗原貴宏
およそ10年間という選手生活を終えた直後の栗原選手に話を聞くことができた。

先週決めたという引退について「ほっとしたという気持ちが大きかった」と明かし、「チームからの期待に応えるためにはコートに立たなければいけない、そのスタート地点にすら立てていない」と引退を決断した理由を語り始めた。
ここ数年、怪我に苦しんできた栗原選手。誰よりももう一度コートでプレーをしたいという思いが強かったはずだ。しかし、「朝起きて足を着いて『まだこれだけ痛いのか、もう少しかかりそうだな』と毎日過ごしていた」のだという。大きな手術もし、昨シーズン、山形ワイヴァンズへレンタル移籍をしプレーする場を得たのだが、残念ながら彼は引退を決断することとなったのだ。

「もう無理だと思った時はすごく落ち込んだし、悲しかった」
悔しさが胸にあるのかと思っていたが、どこか自身の話をする栗原選手の表情はスッキリとしていた。
会社、チームへ引退の意思を告げた後、お世話になった方へ連絡をしたという栗原選手。
初めの頃は報告をしながら泣いてしまったこともあったが、話をしながら徐々に気持ちの整理がついたようだった。

プレーするチャンスをくれた山形


昨シーズン、山形ワイヴァンズにレンタル移籍をしてから在籍した期間は長くない。それでも、山形や対戦相手の福島ファイヤーボンズ両チームやファンのあたたかい空気に包まれた引退セレモニーだった。

山形に対し「プレーするチャンスをくれたチーム」と語り、「左足の固定術をし、どこでもいいからプレーしたいと思っていた。チャンスをくれた次のシーズンも早い段階で声を掛けてくれて恩返ししたかった。チームの中心として考えていると言ってくれて、すごく嬉しかったし必要とされるところでプレーするのは選手として一番。それをこのような形でコートに立てなかったことは申し訳なかった」と少し残念そうに話していた。

ただ、「昨シーズンレンタル移籍をしてきて、14連敗を止めたことは唯一チームのためにできたことなのかな」といい思い出の一つに挙げてくれた。

応援してくださったファンのみなさんへ

この日会場には、かつて在籍した川崎ブレイブサンダースや宇都宮ブレックス時代のファンも駆けつけていたことが印象的だった。
「ファンの方々がいてくれたおかげでここまでやれたと思います。
今考えると、体的にはもっと早い段階で引退だったのかなと思うんです。
それでもここまでやりたいと望んだのはファンの方の励ましや応援があったから。
今日も東芝に入団した頃から応援してくれていた川崎のファンの方もわざわざ駆けつけてくれて、そういった方が一人でもいてくれるだけで僕が頑張ってきた意味があったのかなと思います。」
そう、最後に涙を浮かべながら語っていた栗原選手。

コロナ禍ということもあり、最後のプレーを画面越しに見たファンも多かったはず。でも栗原選手のファンへの思い、感謝の気持ちは届いたことだろう。

栗原貴宏選手、おつかれ様でした。

今回、お伝えしきれなかったインタビュー内容については、後日でご紹介します。