コーチとして沖縄アリーナへ 金城茂之 アシスタントコーチ兼スキルコーチ(仙台89ERS)
今シーズン、仙台89ERSのアシスタントコーチ兼スキルコーチに就任した金城茂之氏。長く琉球ゴールデンキングスでプレー、その後2シーズン仙台でプレーをし昨シーズンをもって引退した。「成績面では思ったような結果にはなっていなくがっくりしてはいるが、引退直後にもこうしてバスケットボールに携わることができて幸せを噛み締めているところだ」と言う日々。開幕直後は「チームの形を作る中で藤田弘輝ヘッドコーチが大枠を作り、その枠の中の細かい部分をつなぎ合わせていき練習や試合で上手くいった時に楽しさを感じた」という。まだまだ「新米コーチで勉強の日々。自分ではコーチとは名乗れない」と笑う。balltrip MAGAGAZINEはそんな金城氏に話を聞いた。
それは本当に突然のことだった。引退後は地元沖縄に帰る予定だったが、帰る前日に運命が変わったのだ。沖縄でやりたいことが色々あった。しかし「すぐ方向転換をした」激動の1日。
「コーチになりたい」という目標は全く持っていなかったからこそコーチ就任は青天の霹靂だった。「Bリーグのコーチになれる」とは夢にも思わなかった。ただ子供たちにバスケットボールを教える活動を始めていた。「子供たちとバスケットボールをしたい。育成に携わりたい」と思っていたところに今回の話が舞い込み「Bリーグのコーチに誰もがなれるわけではない」と突如巡ってきたチャンスに思い切り飛び込んだのだ。
沖縄へ帰る直前に藤田ヘッドコーチ就任の話を聞いた。B1リーグで琉球ゴールデンキングスをセミファイナルにまで導いた実力あるヘッドコーチがやってくる。「彼が来年仙台を見るなら残る選手はうらやましいな」と思っていた。そんな金城氏の下に届いたアシスタントコーチへの打診。「藤田ヘッドコーチの下で勉強ができる」ことが大きな決断を下す理由となった。
琉球と仙台、二人には妙な縁のようなものを感じた。「僕が知っている琉球の選手たちの成長の過程などを今も時々話している」と言い、琉球を離れた今も気に掛ける二人の人柄が垣間見えた。「藤田ヘッドコーチもよく沖縄の話をしてくれる。そんな時も楽しくてありがたい」と感じているそうだ。
藤田ヘッドコーチは、金城アシスタントコーチについて「彼とは琉球でも入れ違いで初めて絡んだが、バスケットが大好きでスポンジみたいな人」と表現していた。「人として尊敬できるし、シゲさんと一緒に仕事ができて光栄。毎日が楽しい」と語っていた。波長も合うのだろう。一緒にチーム作りに取り組む、仕事ができる喜びが二人から伝わってくるのが嬉しかった。
金城アシスタントコーチは現役時代を「思ったような終わり方はできなかった。いろんな怪我に悩まされ安定した選手生活ではなかったし、毎年ギリギリの中で契約を勝ち取る連続だった」と振り返った。現役時代によく取材をしていた沖縄県のバスケットボール情報誌OUTNUMBERの金谷康平ゼネラルマネージャーは「最初はスピードで勝負しよく走る選手という印象だった。2年目のスリーポイントシュートをたくさん決めている姿が思い出される」と言う。「学生時代から決してエリート選手ではなかったと思うが、bjリーグと琉球ゴールデンキングスの誕生により選手としてのキャリアが選択肢としてできたのだろう」とも語っている。金城アシスタントコーチは「琉球という進化していく組織についていくことに必死だった。今振り返れば選手としても人間としても成長させれもらえた」キャリアだった。
金城アシスタントコーチの最も印象に残っているプレーを金谷ゼネラルマネージャーに聞いてみると、琉球ゴールデンキングスがbjリーグで初優勝を遂げたシーズンのセミファイナルを挙げてくれた。「4Q残り8分くらいで19点ビハインドだった。金城選手は4Qにやっとスリーポイントシュートを決めた。そして会場の空気が変わった。奇跡の逆転劇だった」と熱く語り、「あれがキングスの歴史の始まり」だと力を込めていた。
度重なる膝の怪我などの影響でプレースタイルを変えざるを得なかった。中心メンバーからベンチメンバー、さらにベンチ外も経験しキャプテンも務めたこともあった。だからこそ「色々な選手の気持ちがわかるつもり」だ。長いシーズン、怪我や不調で苦しむ選手もいる。プレー時間を勝ち取れず思い悩む選手もいる。そんな時「助けになれることがしたい。出られない選手が気に掛かる。どんな風にコートにフォーカスしてもらえるかが一番やりたいこと」と語る。
そんな金城アシスタントコーチだからこそ「どんな選手にも寄り添えて、安心感があるだろう。メンタル面のケアもできるし信頼される人柄だ」と、長く取材を続けてきた金谷ゼネラルマネージャーも太鼓判を押していた。「試合と毎日の環境が生き物。想像と全く違う反応が多い」と言うなかなか簡単にはいかないコーチ生活。やってきたことが上手くいかない時「選手がどう感じて、どうしてそういうプレーになったのかまだわからない」こともあるからこそ「会話を増やしたい」と考えている。一人一人と真剣に向き合おうとする姿は選手の心も動かしていくことだろう。
気は早いが、仙台がB1昇格を果たせば「就任直後には少し想像していた」古巣との直接対決が実現する日が来る。実は金城アシスタントコーチはまだ沖縄アリーナに足を踏み入れていない。すごく行ってみたいアリーナへあえて行かない理由。「1回目は特別にとっておきたい。Bリーグに携わっている間は関係者として入れるようにしたい」からこそまだ行くわけにはいかないのだ。
金城アシスタントコーチにとってバスケットボールは「11歳から続けてきた人生の一部。今はよりバスケットボール中心の生活になっている。趣味であり息抜きでありストレスであり楽しみであり成長させてくれるもの」だと言うなくてはならない存在。導かれるようにコーチとしての道を歩み始めた。新たに始まったバスケットボールとの向き合い方は楽しさとストレスの繰り返しのようだ。連戦においては作業が深夜に及ぶこともしばしば。月曜、火曜が休みのはずもチームの振り返りや次節の対戦相手のスカウティングなどをしているとあっという間に時間は過ぎていく。
それでも「大変だけど幸せ」と最後に語った笑顔はとても眩しく充実感に溢れていた。「粘り強いディフェンスが魅力」と言う仙台のバスケットボール。B2優勝、B1昇格を果たし当面の目標である「コーチとして沖縄アリーナへ」。それは長く応援してくれた琉球のファン、そして仙台のファンに対して最高の恩返しになるのではないだろうか。金城アシスタントコーチが付けていた背番号「6」は永久欠番となった。沖縄アリーナでそのフラッグを目にするその日が待ち遠しい。